日本がアメリカと戦わざるを得なくなっていった遠因をたどっていくと、 日本の 日露戦争勝利 にいきつきます。当初日本を応援していたアメリカは、 その後日本への恐れが芽生え、オレンジ計画(対日戦争計画) へと傾斜していくことになります。 日露戦争から始まる日米関係の変化 をたどってみましょう。 1904年2月、日露戦争が始まりました。 その知らせを受けたアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、日本に強い関心を寄せます。 当時のアメリカにとって、日本は巨大なロシア帝国に立ち向かう、ある意味で「応援すべき存在」でした。 ところが、開戦からわずか500日ほどで、アメリカから見た日本の姿は大きく変わることになります。 日本は「ロシアに立ち向かう小国」から、「将来、警戒すべき強国」へと変わっていったのです。 なぜアメリカは日本を応援したのでしょうか。そして、なぜその日本をやがて恐れるようになったのでしょうか。 その変化をたどっていくと、日露戦争がその後の日米関係に与えた大きな影響が見えてきます。 なぜアメリカは日本を応援したのか 日露戦争が始まった当初、アメリカ世論は意外なほど日本に好意的でした。 当時の常識からすれば、ロシア帝国は広大な領土と巨大な軍事力を持つ圧倒的な大国です。 一方の日本は、明治維新以降、急速に近代化を進めていたとはいえ、国力ではロシアに大きく及ばないと考えられていました。 つまり、この戦争は「圧倒的な大国に、小さな国が挑む戦い」として受け止められたのです。 こうした構図は、アメリカ社会の共感を集めやすいものでした。 強大な相手に立ち向かう側に感情移入する。 不利な立場にありながら、大国に挑戦する日本を応援する。 そのような空気が、当時のアメリカには存在していました。 さらに、ロシアは皇帝による専制的な支配が続く、自由の少ない国として見られていました。 それに対して日本は、憲法と議会を備えた立憲国家として近代化を進めていました。 もちろん、当時のアメリカ人が日本を現在の意味で「民主主義国家」と考えていたわけではありません。 しかし少なくとも、日本は西洋の制度を取り入れ、近代国家として歩み始めた国として認識されていたのです。 「文明国」日本を世界に示す 日本の側も、こうした欧米の視線を強く意識していました。 日露戦争は、単なる軍事的な争いではありませ...