世界を動かした日本の情報戦略 しかし、「文明国」として認められるためには、それだけでは十分ではありませんでした。 日本政府や軍部は、外国人記者や各国の観戦武官への対応にも細かな配慮を行いました。 外国人に文明的でない印象を与えないようにする一方、作戦計画や軍事上の重要情報が外部に漏れないよう慎重に管理する。 つまり日本は、戦場で銃や砲弾を交える一方で、もう一つの戦い――情報戦も行っていたのです。 海外世論への働きかけにも力を入れました。 アメリカには金子堅太郎、イギリスには末松謙澄らが派遣され、日本の立場や戦争の背景を説明しました。 金子堅太郎は伊藤博文のもとで活動した政治家・外交家で、アメリカ留学の経験もありました。 さらに、ルーズベルト大統領との人脈を生かし、アメリカの政界や知識人、新聞関係者などに日本の立場を伝えました。 末松謙澄も英語での発信力を生かし、イギリスで日本の立場を積極的に伝えました。 こうした活動は、今日でいう「広報外交」の一面を持っていました。 日本は、 「なぜロシアと戦うのか」 「なぜロシアの拡張を止めなければならないのか」 「日本が欧米列強と同じように近代国家として行動している」 ということを、世界に理解してもらおうとしたのです。 ルーズベルトと金子堅太郎 こうした日本側の働きかけは、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトにも影響を与えました。 ルーズベルトは、当時のアメリカの政治家の中でも日本に強い関心を持っていた人物です。 日本文化にも関心を持ち、武士道についても興味を示していました。 また、柔道にも関心を持ち、ホワイトハウスで日本人から指導を受けたことでも知られています。 ルーズベルトにとって日本は、近代国家として成長しつつある興味深い存在でした。 しかし、彼が日本を評価した理由は、それだけではありません。 アメリカの国益という観点から見て、日本には重要な意味がありました。 アメリカにとってのロシアと日本 当時のアメリカは、中国市場への新規参入を目指していました。すでに 中国に進出していた列強国が独占するのではなく、各国が平等に貿易できる状態を――いわゆる「門戸開放」を求めました。 ところがロシアは、満州や朝鮮半島方面への勢力拡大を進めていました。 ロシアが東アジアで勢力を拡大し続ければ、アメリカが望む中国での自由な通商にも...