なぜ無謀な作戦を決行したのか
大東亜戦争において、最も悲惨で無謀な戦いとして激しく批判されるのが「インパール作戦(1944年)」です。3万人以上の戦死者と、膨大な餓死・病死者を出したこの作戦は、現代でも「無能な指揮官による無意味な戦い」の代名詞のように語られます。
しかし、日本軍はなぜ、すでに戦況が悪化していたこの時期に、わざわざ山深いインド国境へと進軍したのでしょうか。その答えもまた、大東亜会議にあります。
大東亜会議の席上、ビルマ代表のバ・モウは「インドの独立なくしてアジアの自由はない」と訴え、インド代表のチャンドラ・ボースは「イギリス帝国を打倒し、4億人のインド人を解放する」と決意を表明しました。これに対し、議長国である日本は、「国家としてインドの独立を全力で支援する」と国際公約したのです。
日本は、国際会議での約束を果たすため、たとえ自国に不利な戦いであっても、インド独立の火を消さないために進軍せざるを得なかったという大義がありました。
インド独立の導火線となった日本軍の戦い
作戦を指揮した牟田口廉也中将は、物資も装備も極限に少ない中、短期決戦での勝利を狙い緻密な作戦を練りました。一時は要衝を占領するなどイギリス軍を追い詰めますが、前線の混乱や雨季の到来、補給の途絶によって作戦は壊滅的な失敗に終わります。
結果だけを見れば大敗北であり、悲劇であったことは間違いありません。しかし、この作戦を単なる「無謀なゴミ屑扱い」として歴史から葬り去ろうとする動きには違和感を覚えざるを得ません。なぜなら、この戦いに同行したチャンドラ・ボース率いる「インド国民軍(INA)」の兵士たちの血と、日本軍の奮戦が、のちのインド独立を決定づけたからです。
戦後、イギリスは捕らえたインド国民軍の将校たちを「反逆罪」として裁こうとしました(赤砦裁判 / レッド・フォート裁判)。しかしこれに対し、インド全土で「彼らは祖国解放のために戦った英雄だ」と猛烈な暴動が発生。イギリス軍に所属していたインド人兵士や海軍までもが反乱を起こす事態となり、イギリスはついにインドを支配し続けることを諦め、独立を認めざるを得なくなったのです。
おわりに:多面的な歴史に目を向けるということ
インパール作戦の悲惨さを強調し、大東亜会議やアジア独立への貢献という「不都合な真実」を隠しておきたい人々が一定数存在します。しかし、当時の日本軍が流した血が、結果として数百年に及ぶ白人の植民地支配の歴史に終止符を打ち、アジア諸国が独立する強力な原動力となったことは紛れもない歴史的事実です。
負の側面を反省することは大切ですが、同時に日本が国際社会やアジアの歴史に残した「正の遺産」についても、私たちは堂々と学び、発信していくべきではないでしょうか。
やまとこたろう

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